所属している番組では今、これまでに自然災害を被った土地の復興をシリーズで取り上げています
その壱として『普賢岳の20年』を6月3日に放送しました
5月半ばに番組キャスターらと長崎県の島原へ行き、
雲仙普賢岳の大火砕流によって家や職場を一瞬で失った島原の人が
20年間どのようにして復興に取り組んできたのか、
そこに今回の大震災の"復興"に何かヒントになるものはないか取材してきました

現在の島原は、噴火活動の終息とともに警戒区域が縮小し、
土砂に埋まった川では堤防や橋梁が強化されるなど大規模な砂防工事が行われている
その砂防事業も9割方が完了
土石流の被害を受けた家屋は当時の形を残したまま屋外に展示され、 被災家屋保存公園として
日本各地からの観光客を乗せたバスが寄る観光ルートのひとつとなっていた
公園内でランチをとり、お土産ショップで地元名物を購入し、お金を地元へ落としていく
少し皮肉な話ではあると思ったが、地元にお金が落ちることは地元に潤いをもたらしている証拠
がまだす(島原弁でがんばる)ドームという立派な火山学習施設も建てられ
来年国際会議が開催予定とのこと
取材前にプレビューした悲惨な状況を記録した過去素材とは、大きく光景が異なっていた島原
20年でここまで変わるのかぁ、と驚いたのが第一印象
当時の市長や町の職員、警戒区域内で働いていた地元の住民など多くの方に話を聞かせて頂いた
どの方の話からも島原の復興へ尽力されたことが伺えたが、私は放送で(尺の問題により)使えなかった地元の方、Yさんの話がとても印象に残っている
噴火活動は終息したものの、今も100度以上の高温を保っている普賢岳の麓で
山の頂上を見上げた時、少なからず私は山に恐怖心を抱いた
そんな私の横でYさんは穏やかな表情をしながら
「山は怖くなんかないですよ。私は山を見ると落ち着きます」と山への想いを話してくれた
また火砕流が発生するかもしれないのに、地元の人はどうしてこの場に住み続けたがるのだろうと、郷土愛への理解に苦しんでいた私は、Yさんのこの言葉からようやく少し悟ることができた
「他人の発言によって自分の人生を左右されるのは嫌なんです。いついつまでに状況が改善されますから、と言ってその期限日まで待って状況が変わらなかった時、ものすごく落ち込むでしょ。だから私は住みたい場所に住み続けるために、今でも自分達で自分の身を守る努力をしている。明日も近所の人と協力して自宅周辺に銀杏の木を植樹するんだ」とYさん
市長や専門家が、それぞれの立場で指揮を取りベストを尽くした島原の復興
しかしそれだけでなく、島原の住民たち自身もまた復興を担うリーダーだったのだと思った
「希望があれば何だって我慢できる」
「諦めたことがなかった。これに向かってとにかく進もうと、何があっても進もうとやってきた。やっぱり希望なんです」
島原で話を聞かせて下さった皆さんはこういった言葉を口々にしていた
今、東北の被災地ではどれだけの人が希望が持てる状況なのか・・
復興を遂げた被災地を通じて、少しでも東北の復興のヒントが見えればと強く願う
最後に、取材終わりにYさんに呼ばれて挨拶に伺ったときの話を載せます
「あなたはまだ取材経験も少ないだろうから、今は取材する一つ一つの災害や事件に真剣に取り組めているのかもしれない。でもね、慣れちゃだめですよ。感動することに慣れないようにね」
この復興シリーズは、現在その弐を準備をしているところです
次回分は、7月1日から3日まで現地取材し、7月半ばに放送を予定しています
放送が近くなったら改めて告知しますね
Yさんからのメッセージを大切に、その弐も真摯に取り組みたいと思います

島原で食べたオコゼの刺身、さいこーに美味しかった!
天天